レスキュー

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これまで扱った旅鳥の中で、もっとも痩せていたセイタカシギ。
死体でも間近で見ることは稀です。

大変に「ま」が開いてしました。前回の書き込みは梅雨時期で、例年同様のオナガミナズギドリやシロハラミズナギドリの保護が相次ぎ、それが一段落した頃でした。そして、今はもう夏。それも盆踊りも過ぎ去った8月末。でも、このコーナーをさぼっていた間もレスキューがお休みしていたわけではありません(言い訳)。雨のこない空梅雨ぎみの梅雨があけ、6月末から7月に入ると、例年通りメジロやトラツグミの巣立ちヒナを見かけました。ただし、今年は嬉しいことに、トラツグミの誤保護が少なく、路上で発見された個体も場所が詳細にわかっていたため、無事に親鳥のもとに戻すことができました。良い夏になりそうだ、などと言っていた矢先。7月に入ると、なにやら台風・台風・また台風・・・。直撃などはないものの、相次ぐ荒天、雲があぐらをかいているような小笠原のべた凪のない夏になってしまいました。きっと、多くの旅鳥も、巻き込まれたことと思います。
さて、数日、嫁島、父島、南島、母島などで、複数の群れが観察されています。写真の個体は残念ながら運ばれた後に死亡しました。なかなか近くで、まじまじと見ることはない鳥です。セイタカシギ。

Thanks MissPAPAYA号

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元気に飛び立つシロハラミズナギドリ

5月後半、5月25日をすぎてもシロハラミズナギドリの不時着が続いています。電線などの人工建造物への衝突個体も多く、復帰率は半分程度。ひさしぶりに続く死亡個体。いずれも自然の摂理の死ではなく、人間生活との軋轢死。さらに、おそらく、みんなこの冬に生まれて、これから大海原に向かう若鳥たちばかり。忙しい仕事が続いていた傍らで、ちょっとやりきれない気持ちになりました。それでも発見者のおかげで、有人島のトラブルに巻き込まれることなく、元気にかえっていったシラハラも3羽もいます。

Thanks トッシー、みづきちゃん、YOKOYAMAsan、ネコサンfamily

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片翼を骨折したシロハラミズナギドリ

今年は空梅雨か? と思わせる晴天が続いています。かといって完全な真夏日というところまではいかず、夜には湿気を含んだうすいガスが父島にたなびくように かかっています。そんな空梅雨陽気が安定? しだした5月20日もすぎたころ。シロハラミズナギドリが相次いで保護されるようになりました。この鳥は、翼の付け根をほぼピンポイントで強打しており、開放骨折に近い重傷で島では助かる手だてはありません。場所は、奥村グランドのあたり、湾口から侵入して、電線に衝突したことが考えられます。毎年、事故の起きる場所。なんとか、対策を講じたいところですが・・・。

Thanks ISHI-kun

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八瀬川のほとりで アマサギ

5月も後半、今、父島にアマサギ、ササゴイ、ゴイサギ、アオサギなどのサギ類が見られています。特に、大きな河川のない父島では貴重な八瀬川では、河川敷の樹木に複数で留まるアマサギの姿を目にします。実は、小笠原で保護された場合に、もっとも復帰率が低いのがこのサギたちです。逆に、もっとも復帰率が良いのは小笠原に分布するミズナギドリたちなのです。これが不思議なことに日本本土の鳥獣保護センターなどの施設では、まるきり逆の傾向があるようです。小笠原ではサギ達は旅鳥、つまり衰弱はいわば行き倒れなのです。弱りに弱って島になんとかたどり着き、ダウンした時には、回復不能なほどに衰弱していることがほとんどです。でもミズナギ類は、強い飢餓耐性を持った鳥で、本来は多少の絶食ではびくともしません。時化と凪を繰り返す大海原が生活の場なのですから、

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孵化途中のイソヒヨドリ

数日前の午後、イソヒヨの雛が持ち込まれました。なんと孵化途中。山に近い小曲地区でなにかのハプニングがあった模様。まさに嘴の上の突起をつかって、卵殻を破っている最中でした。残念ながら3日目で死亡してしまいました。今まさに、イソヒヨドリやメジロ、トラツグミが繁殖真っ最中。おぼつかない巣立ち鳥もフラフラしています。ヨチヨチ歩きに見えるヒナでも、たいがい近くで親鳥が見守っています。どうしても、危険だな と思ったら、近くの木の枝にそっととまらせて、その場を離れましょう。少し長くなりますが、もうひとつイソヒヨ話。数日前には、誤って人家の水槽に落ちて気絶状態のイソヒヨが持ち込まれました。まだ給餌をうけている最中の雛鳥でしたが、気嚢に水を飲み込んだ様子もないものの、体温低下でショック状態でした。間接送風と保温によって、見事に立ち直り、意識がしっかりしてくると、「ここはどこだ」と暴れはじめました。すかさず、現場近くへ連れて行くと、すぐに親が飛んできて、さっと連れてきました。人が危険と認識するものと、野生の動物が認識する危険は、どうもだいぶ違うようなのです。