2005年

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島の呼び名は「ウィロウィロ」

小学校の校外授業をビジターセンターで行いました。当研究所が父島ビジターセンター内で開催中の特別博物展「海洋島小笠原 その魅力と危機」の中で実施している環境教育プログラムです。さて、今日のお相手4年生とともに授業の後で、昨日扇浦で保護されていたシロハラミズナギドリを放鳥しました。船から見ることはあっても、至近距離でみることは少ないミズナギドリの水掻きや、まん丸の目、長い翼に、子供達は興味津々で、つぎつぎと質問が飛んできました。島の子供たちと見送るシロハラの姿は一段と素晴らしいものでした。島っこですから、シロハラミズナギドリという和名よりも、最近は聞かなくなった島の呼び名「ウィロウィロ」を強調しました。

THANK’S Solmal、Mr.SAHARA、RAO、4年ハート組&Teacher KANOU

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回収された死体

4月27日、台風3号の雨風の中で、シロハラミズナギドリとオナガミズナギドリがそれぞれ保護されました。場所は清瀬都営住宅の5階の踊り場と、西町メインストリートの自動販売機の前です。いずれも、怪我はなく、不時着のショックによる軽い脳震盪と判断されました。ともに、念のため一晩様子を見たの後に、翌夜に宮之浜より放鳥しました。4月28日、扇浦で前夜の電線衝突と思われるオナガミズナギドリの死体が回収されました。このHPでもお伝えしているとおり、海鳥の電線衝突は、意外に何度も決まった場所で起きる傾向があるように思われます。今後、より詳細なデータを重ねて、防げるものであれば、少しでも減らしたいと考えています。

THANK’S RAO、大島くん、PAPA’s TAKEちゃん、Sora&Mirai&Nago

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ネコに襲われたムナグロ

久しぶりの、すべてを包むような見事な夕陽も沈んでしまい、静かに暮れていこうとするそんな時間に、息絶え絶えのムナグロが運ばれてきました。父島の小さな小さな飲食店街付近でネコにやられていたところをサッカー帰りの子供達数名が見つけたのでした。左頭部と左翼の付け根に出血が見られ、消毒しようとすると、思いのほか傷が深く、左翼は使い物にならないくらい傷んでいました。小笠原に訪れる鳥の中では、十分に神経質で、動きも逃げ足も速いムナグロですが、重傷を負いました。明日の朝までが山、必死に身体を震わせながら耐えている様は痛々しいものです。

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 保護後はじめて水浴させると、思い
出したように羽つくろいをはじめた。

アホウドリ類や、アカガシラカラスバトの調査で、忙しく冬を過ごすうちに、気が付けばなんと新年度となってしまいました。小笠原の学校も今日が入学式、なかなか情報up出来ずにゴメンナサイ。翼負傷のセグロミズナギをお伝えした後、今日までにアナドリ、ムナグロ、オオセグロカモメ、トラツグミ、アマサギなどが保護されました。そしてシロハラミズナギドリも3羽保護されました。うち2羽は4月に入ってからの保護で、ともに右翼の付け根を強くぶつけた様子で、1羽の羽は脱落寸前です。残念なことに、2羽とも第一発見者が不明で、詳細な状況がわかりませんが、怪我の状態と、部位、カ所数から、2月のセグロミズナギドリと同じく、夜間の電線衝突による負傷の可能性が高いと考えています。希少種を含む海鳥の繁殖地に近い小笠原諸島。人の暮らしのちょっとした変化に、多くの動物たちはついてこれません。「生き物にも優しい環境づくり」、この言葉は小笠原では切実な意味があります。

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翼を負傷したセグロミズナギドリ

2月9日、奥村グランド近くに、ミズナギドリがいる との連絡で駆けつけると、それは希少種のセグロミズナギドリでした。右翼から血を流しており、翼の付け根部分が、鋭い裂傷下で開放骨折しており、右翼は皮一枚でつながっている状況でした。あらぬ方向を向く翼は歩行のじゃまになる上に、痛いのでしょう、さかんに自分で患部に噛みついてパニック状態になっていました。皮1枚の翼を切り取り、安静にして数日を過ごしましたが残念ながら死亡しました。翼の負傷は、傷や骨折の状況から、電線への衝突した可能性が高いと判断されました。
人工構造物(建造物、電線、照明)に激突死亡・負傷する海鳥は多く、その中にはこのセグロミズナギドリのように絶滅危惧種も含まれています。